第4話:美人じゃなくても

「上京パワーってのを目の当たりにしちゃって……。いままでそういうのを知らなかったじゃない。ああ言う学校だと、東京にガーンときちゃって、もう一気に東京に染まっちゃう人が多かった。」

小山田圭吾(ミュージシャン)


フランス語学科のあの学年にいて、奇妙な風景に気づかされることがある。それは、あのクラスにはいくつかの派閥があって、派閥が違うと、教室で会っても挨拶ひとつしないということだ。おはようのひとつも言えばいいのにと思うのだが、女子校ならではの殺伐とした光景が眼の前で展開されようとは、入学前にはまったく予想もしていないことだった。

一体、この学科はどうなっているのか。僕は、こんな噂を耳にした。曰く、髪型の素敵な某教授は「私はね、面接では成績云々よりも顔で選ぶんだよ」と公言して憚らないのだとか。事実なら凄い話だが、現に美人が多いことと、その彼女たちの、たいして伸びない仏語力とを見ると、あながちウソにも思えてこなくなってくる。世間一般が抱く「フランス語を学んでいるエリート学生さん」的なイメージとは裏腹に、この学科の学生たちには、初歩的な何かが欠落しているような気がした。それが何なのか、よく分からなかった。ただ戸惑うだけだった。

たいして伸びない仏語力と言ったが、勉強している人は勉強しているようにも見えた。それを見せないようにしているのだろう、と僕は察した。女子校状態の中で、出る杭が打たれないわけはない。例えば、僕はこのクラスで「勉強が出来る」と思われているらしい。それはそれで名誉なことなのかも知れないが、時にはこんな目にも遭う。ある日小テストが終わったときに、ある先輩にテストの出来を聞かれて出来なかったと正直に答えたところ、あろうことか「ウソつきっ」などと言われてしまったことである。いくら何でもウソつき呼ばわりはなかろうと思うのだが、こんなことでいちいち驚くのにも飽きていた。
授業中のとりとめもないお喋りもまたしかり。しかし、こんなにうるさくて、先生方は本当に怒らないのだろうか。僕は人づてに、こんな話を聞いている。フランス人の兼任講師が、こう漏らしていたのだという。
「クラスはうるさくてしょうがないけれど、自分がわがままな性格だから、なるべく皆の前では怒らないようにしているんだ。」

誰かの自由の陰には、いつだってほかの誰かの犠牲があるものなのだ。この講師は、この年を最後に上智大学を去った。

ある日、教室にいるといつものお喋りが始まっていた。
この日の話題は、紙幣に関することのようであった。暫くすると、そのうちの一人が僕に向かって聞いてきた。
「水野クンなら知ってるかもしれない。ねえ、新渡戸稲造ってどんな人なのか知らない?」

僕は、すまして答えた。偉い人だと。