第4話:あくびの午後

「私は、親が子に『~をしちゃいけない』とか『~を守らねばならない』とかいうことが必要だと思うのは、そういう否定を通じて『個』というものが現れてくるからです。」

福田和也(文芸評論家)


世間から見れば、大学生というものは只遊んでいるだけのように見えるのかも知れないが、僕のいる学科は月曜から土曜まで必修科目が埋まるような厳しさで、しかも毎回出席を取るから気を抜くヒマがない。2年生になって多少の余裕が出てきたとはいえ、そんな授業の上にサークル活動があってアルバイトまでこなすのだから慌ただしいことこの上ないのだが、アルバイトに関しては、Kさんのサポートもあって、僕は順調に仕事をこなせるようになっていた。僕がアルバイトに入っていた木曜日というのは、比較的仕事の少ない日であったことも幸いしていた。当座の仕事が済んでしまえば、社員の食べるお菓子のお相伴に与ったりして気ままなものだった。

東京支社の業務というのは、大分して営業と編成の2つである。編成というのは、番組に関して東京のキー局と折衝することであったり、在京のスポンサーから受注したCMを、適切な時間帯に流す作業であったりする。
その内勤社員の中に、H氏という社員がいた。僕はどういうわけか、アルバイトを始めたころからH社員に目を付けられ、何かにつけ小言を頂戴することになった。
それを見ていた別の社員には、
「水野君もHさんの洗礼を受けてるのね、フフフ。」
などとからかわれたりもしたが、はじめのうちは、H社員がどうしてこんなに小うるさく絡んでくるのかがよく分からずにいた。その真意を悟ったのは、「どうしたら小言を言われずに済むのだろう」と思索する自分自身に気づいたときである。

H氏は、知らず知らずのうちに僕が自身の欠点に気づくよう仕向けていたのだった。もっとも、傍目には単なるいじめのようにしか見えなかったであろうが…
思えば、自分自身を見つめて考え直すことなど、今まで真剣にやったことがあったろうか。巷間「自己分析」なる言葉が出回っているが、他者の存在なしに自己を知る術などありはしないということを、19歳の、あの時点での僕が知り得たことは大きな幸運だったと言える。

欠点といえば、こんなこともあった。ある日、Kさんにアルバイトを代わってもらおうと思って自宅に電話した時のこと。電話にはKさん自身が出たのだが、妙に警戒している様子がありありとしている。僕が水野だと名乗ると、急にホッとしたような様子でいつものKさんに戻っていた。Kさん曰く
「普段の水野君と全然違う低い声だったから…」
確かに、僕は電話口での声が低くなる癖があった。今でもそうだが僕は極端なあがり症で、特に電話口では声がうわずりそうになる。それを避けるために声が低くなってしまうというわけだ。しかし、Kさんのような指摘を受けたことは今までなかったから、僕は僕で戸惑ったし、今後は注意せねばと自戒させられたものだった。

それにしても、Kさんは一体何に怯えてていたのだろうか。今となっては詮無い話だが、それだけに、僕は今でもあの日のやりとりを振り返っては自問自答を繰り返している。