第6話:とても長い夜

「死ぬのが怖いとか怖くないなんて、誰も普段はそんなこと考えて生活してないよね。人間、生きているってことは、いつでも死ぬ可能性を抱えているってことでしょ? 風呂場で転んで死ぬことだって、食中毒でだって、命を落とすことがあるんだから。」

鈴木亜久里(会社役員)


テレビを消し、呆然として自室に戻ると、サークルの後輩から電話がかかってきた。
「あのニュースは、Kさんのことなんですか?」
やはり後輩同士でも話題になり、僕に訊いてみようということになったそうな。
僕としては未だ確証が掴めないし、よくある名前だから同姓同名の可能性もある。とりあえず、N先輩に訊いてみるから暫く待っててくれと言って電話を切った。そしてすぐさま、Nさんの電話番号を確かめた。

もう十何回鳴っただろうか、果てしもなく長く感じられた待受音の後、
「…は、い…」
Nさんの震えた声が聞こえてきた。やっぱりそうだったんだ。たった一言のかすれた声が、すべてを悟らせていた。会話にならないやりとりがあった。電話を切ると、どうしようもなく大きな虚脱感が僕を襲っていた。
先輩や後輩から立て続けに電話がかかってくる。詳細を伝えるテレビのニュース。どうかウソであって欲しい、と願う気持ちを嘲笑うように、事実は不動のものになっていた。一体、どこの誰が何のために…
僕は結局、この晩一睡も出来なかった。4時半、朝刊が届く。拡げて見ると、確かに事件は起こっていた。見慣れたKさんの顔写真と共に、「女子学生殺害、放火」という大きな見出しが飾られていた。それでもなお、僕にはまだ実感が湧かなかった。

明けて9月10日。僕はサークルのミーティングがあったので登校した。キャンパスの中には、報道関係者と思しきカメラとマイクを持った人々の姿が散見された。部室に入ると、ある後輩部員が、
「いやぁ、僕もインタビュー受けちゃいましたよー。」
笑みを浮かべながらのたまう。彼はR放送のアルバイトをしていなかったから、当然Kさんのことも知らなかった。見ず知らずの人間にしてみれば、あれは極めて自然な反応だったし、僕だって立場が逆だったらやりかねない。後になって、事情を知ったその後輩は自分の軽率さを詫び仁義をきってきたものだが、誰もあの時あの場面での彼を責める資格を持ちはしまい。ともあれ、連日のようにテレビのワイドショー番組で報じられる凄惨な事件を、今まで如何に他人事として傍観していたかということを痛感させられる挿話ではあった。

この日の夕方、後輩たちを連れてR放送に赴いた。何か新しい情報がないかと思っていた。いつものようにオフィスに入るが、やはり雰囲気が重たい。明らかに意気消沈している社員もいて、お互いに声もかけづらくなる。と、東京支社長が我々を呼び直々にお話しをしてくださった。
大変なことになったけれども、うろたえずにしっかり落ち着くこと。警察の捜査には、市民として当然協力すること。ただし、マスコミの中には事件というだけでただ面白おかしく書き立てるような手合いも多いから、捜査と取材については一線を画するように、との訓示だった。また、会社としては、業務部長と総務の女性社員の2名をマスコミへの対応役になってもらうので、困ったことがあったら何でも言うように、とも仰ってくれた。
くたくたになって帰宅した僕は、ぐっすり眠ってしまった。

翌日、僕は所用があって新宿に向かった。埼京線から降りると、ホームの向かいには成田エクスプレスが停まっていた。トランクを引きずって、異国への旅立ちを待つ人々。

Kさんは、今日出発する筈だったのに。
どうしようもない気持ちに襲われた僕は、その場に立ちすくむよりほかなかった。