歴史認識と教科書問題1997.10.3.
筆者は2年前に、韓国のテレビ局の取材を受けたことがある。友人と靖国神社を参拝していると、国営KBS放送がカメラを向けてきたのだ。先方は、日本特派員と思しき若い女性とジャーナリスト風の中年の男性、それにカメラマン。
女性が日本語で聞いてきた。
「日本軍は人殺しをたくさんしてきたのに、その兵士の慰霊に来る若者の意見を聞きたい」
と、大枠はそんな感じだった。
この時筆者は、パリの凱旋門(無名戦士の墓がある)を引き合いに出して、祖国のために落とした命をまつるのは当然ではないか、と言った。ここで口には出さなかったが、靖国神社はそもそも、戊辰戦争で朝廷のために戦い、散った人々の慰霊のためにつくられた神社であり、侵略や軍国云々とは関係のない人々も多数祀られているのである。
しかし、なおもインタビュアーは「軍国日本」の話題に引きずりこみたくて仕方がないようだったので、筆者は、モンゴルが日本に攻めてきた「元寇」をご存じですかと言った。そして、
「韓国には国定の歴史教科書は一種類しかありませんが、その教科書には元寇について、『元と高麗の連合軍が日本を征伐した』と書かれています。しかし、これは明らかに侵略行為です。他国の教科書にだけ文句を言うのはご都合主義ではありませんか?」
すると、女性は呆気にとられて、筆者の言ったことを隣の男性に翻訳して伝えた。男性は気味悪そうな表情で筆者をジロジロと見た。なんでこんな若造がそんなことまで知っているのかと思ったのだろう。彼らは、自国の教科書のことなど、考えてもみなかったに違いない。
彼らが「日本こきおろし番組」をつくろうとしていたのは疑いようのないところだが、その目論見は、少なくとも筆者へのインタビューに関しては、脆くも崩れたことになる。彼らは本当に驚いていた。
かつて韓国の朴正煕大統領は、口癖のように、
「川の水が溢れ出すかどうかは、堤防の上に立った者が一番良く分かる。」
と言っていたという。しかし、残念なことに、「堤防が壊れる、日帝が攻めてくる」と堤防の下から嘯く人々が、まだまだ韓国には多いようである。
新たな歴史認識の共有には、お互いが堤防の上に立つ努力が必要だと強く感じている。