第1話:クラシック
「なぜこのやり方で混乱が嘘のようにしずまるのかというと、たぶん混乱が嘘だったからだろう。」
土屋賢二(大学教授)
実は、S氏にあのような形でお小言を頂戴したのは今回が初めてではない。
ちょうど1年前、崩壊寸前だったサークルに部員がたくさん入ってくれた頃のこと。僕は代表を務めつつも、個人的には留学を控えており、ドタバタしていた時期ではあった。が、個人的な都合でサークル全体の活動がおろそかになってはいけないと思い、発表会をやろうと上級生たちに提案したことがあった。が、僕という言い出し手が気に入らぬのかそれとも他の理由があるのか一向に受け入れられず、ある部員は「新入生の意志次第」などともっともらしい科白をのたまってはいたが、決して自分からその意志を問おうとはしなかった。そして、僕の計画はあえなく頓挫した。もちろん、彼や彼女にしてみれば、自分が企画したことではないから関係なかったのだろうが、こんなことはほんの一例であって、さまざまな有形無形の反対や妨害によって特定の下級生とは緊張状態に陥っていた。
そんな最中、長老のS氏がこんなことを言ってきた。
「下級生の間から水野は避けられているという声があがっている」という話を聞かされたのだと。
S氏はそれが事実かどうか判断のしようがないので一体どういうことなのかと、注意や叱責と言うよりはむしろ心配するような素振りではあった。
誰がそんな風説を焚きつけているのか、僕にはおおよそ分かっていたからそういう「声」なるものに動揺することはなかったが、何よりも驚いたのは、S氏という長老までもを動員して僕を窮地に追い込もうとする人間が、確かに存在することだった。
ともあれ僕は率直にすべての経緯を説明した上で、そういう騒ぎを起こされる覚えがなくはないが、そんなに避けられているならばどうして僕が代表を務めているこのサークルから退部者がひとりも出ないんですかと言ってやった。そして、僕がどうしても一方的に悪いと仰有るのであれば甘んじて受け入れますとも言って成り行きを見守ることにした。
S氏がそう簡単に姑息なタンパリングに乗る筈はないし、S氏が乗らなければこの計画(?)はご破算になるだろうとも思ってはいた。「声があがっている」状態とは誰が言い出しっぺかが分からないからこそ不安を醸し出し、またそれが全体の総意の如く扱われるのであって、「声をあげている」人間が分かればそれはただの個人的な讒言でしかない。言ってみれば、株の仕手戦で仕手本尊が分かってしまえば相場はおしまいというのと同じで、件のやりとりの後、そういう「声」なるものは潮が引いたようにピタリと止んだものだった。
それにしても、人を追いやろうとする手段としては何とも古典的な、まるでどこぞの女子高のように姑息で陰湿な手立てではあったが、ただ僕を貶めるがために、下級生のひとりやふたりだけでそうした風説をばらまいていたとは考えにくい。この計画には裏で糸を引くような黒幕がいたのではないかと僕は疑っているが、確証はない。もし、そんな人物がいるとするならば、非常に興味深いことは確かだが。