エピローグ:木枯らしを抱きしめて

「危機は既に去りつつある。世界が真実を知った以上、世界は間もなく忘れるだろう。」

アンドレイ・グロムイコ(外務大臣)


はやいもので、「キャンパス・ライフ」シリーズも第4作目を迎えてしまった。大学に入ったのがついこの前だと思っていたのに、4年という歳月はいとも簡単に、そして時には残酷に、僕を取り巻く環境を変化させていった。

これまでのストーリーとは、多くの部分で趣を異にする形となったが、帰国後の僕の言動にある種の違和感を覚えた人たちには、その理由のいくつかを知らしめる手立てになったのではないかと思っている。

しかし、執筆に際しては、いくつもの迷いや悩みがあったことを告白せねばならない。どんな表現でメークアップを施そうとも、結局はただの悪口の羅列として受け取られてしまうのではないかという疑問と、それでもなお自分の立場を頑として表明すべきではないかという問いかけとの間で、僕は絶えず揺れていた。

そして、何よりも考えさせられたのは、エッセイといういわば私小説を書くにあたって、自己に相対する他者をどこまで追ってよいものなのかという問題であった。巷間「プライバシー」という言葉でくくられているような、公にされては困る事柄を誰しもが胸に秘めていることは承知しているし、それは僕にしても同様だ。しかし、その秘め事が筆者自身に直接的、不可逆的な影響を及ぼしているということになれば、それを描くこともまた正当な目的たらざるを得ない。が、それを克明に描き切ってしまえば、罪のない人々までもが強烈な衝撃を受けることになる。
イエズス=キリストが言ったように、真実は人間を自由にする。しかし、時として真実は人間をもの悲しくさせたりもする。とりわけ、その者が真実の代わりに素晴らしい幻想を胸に刻んでいた場合には……

僕は罪なき人が完璧に守られることを望んでいるし、そう信じてもいる。