第7話:狂った果実

「人は自分の眼鏡に従って現実を見る。彼女は私に対して『色めがねで見ている』と批判しているが、自分もまた色めがねで見ているという自覚はないようだ。」

林 道義(大学教授)


学園祭が終わって、サークルでは機材の買い換えが話題になっていた。12月に発表会を控えているさなかにビデオデッキが故障し、予備として使っていた旧型ももはや限界ということで、いよいよ新しいデッキを買い増すということになったそうな。

11月のある日、代表氏から電話があり、ビデオデッキを買い換えたいがどんな機種にしたらよいか分からない、ついては秋葉原まで同行願えないかということだった。
肯んじて約束の土曜日に部室へ行ってみると、何とビデオデッキを買うお金を準備していない。どうすつもりなのかと質してみると、
「いやぁ、水野のクレジットカードででも立て替えてもらおうかと思ってぇ。」
ぬけぬけとのたまう。冗談じゃないと断ると、氏は相変わらずつかみどころのない表情を浮かべたまま、傍らにいた会計担当の部員に命じて曰く、
「じゃあ、部費出して。」
「そんなまとまったお金、持ち歩いてるわけないでしょう!」
結局、この部員が銀行まで走る羽目になった。
それにしても、団体の代表者たる者が公共物の購入にあたって金の算段もしないというのは一体いかなる料簡か。もちろん、他人のクレジットカードで彼の財布が傷むこともあるまいが、この男の体質の芯がまたしても覗かれる出来事ではあった。

金がらみの出来事と言えば、留学前に僕はサークルの備品を買うに当たって3万円の金を立て替えたことがある。留学先でそのことに気づいた僕は、今更それを返せと言うつもりもなく、その3万円は部費として寄付しよう、そのかわり支出についてはしっかり明細を出して僕によこしてくれと当時の会計担当だった女性部員に電子メールを送ったのだが、それから時が過ぎ、これを執筆している今現在になってもなお何の報告もない。そしてその3万円の行方は杳として知らないが、どこかの誰かが競馬で全額スッてしまっていたり、憧れの先輩とのデートに遣っていたとしても誰にも分かりはしまい。
これはいかにもな邪推と笑われるかも知れないが、他人の金を預かっておいて後のことは知りませんという態度は面妖を通り越して僕には理解出来ない。他人を利用するだけ利用して後は頬被りしていなさいとでも親にしつけられているのだろうか。

さて、12月に入って間もなくしてサークルの代替わりが行われた。現役引退と言われても今まで何をしてきたわけでもないし、今後も部室には出入りするのだからさしたる感慨が湧きよう筈もなく、僕の関心はもっぱら、次の代表を決めるにあたって展開されているとかいう多数派工作の噂にあった。
ことの詳細を記すつもりはないが、結局はさしたる波乱もなくTという後輩が新たな代表者になりおおせた。T君は僕の置かれた状況を心得ていたのかどうか、何かと気遣いを見せてくれたものだ。
何より大事なのは新代表の船出の足を引っ張ってはいけないことだと僕なりに心得ていたつもりだったし、僕自身の経験から言っても、元の代表だとかいう権威(?)を振りかざして先輩に大きな顔をされるのは決して好ましいことではなかった。
T代表の態度が単なる建前であろうとなかろうと、それだけ意欲のある相手には結局こちらも誠意で応じるということで、発表会に向けて僕の私物の機材なども可能な限り貸してあげることにした。

ところで、件のビデオカメラには奇妙な引っ掻き傷があって、よく見るとそこは指の付け根が当たる部分、すなわち指輪をつけたまま撮影して擦ったものらしいことが分かった。僕の私物がまたしても手荒に扱われるようでも困るので、部誌にいくつか注意事項を記しておいた。かなり小うるさいことも述べたが、女が扱う時は注意することと、文句があるなら自分でカメラを買ってから言うようにと強調しておいた。
すると早速下級生から反応があり、「女」という表現は差別的ではないか、ビデオカメラを買いたくても買えないひとだっているのに非道い言い草ではないか、ブルジョアはムカつく云々という女性部員の非難めいた文章が部誌に載ったものだった。

話がやや前後するが、僕はサークルの一部の部員たちの間から「ブルジョア」なる称号を頂戴していた。どうやら僕が東京の港区に住んでいて、父の自動車を乗り回したりしていることが、僕を裕福なお坊ちゃんに仕立て上げているようだった。僕にしてみればそれで何か後ろめたさを覚える言われもないし、下世話な嫉妬と言えばそれまでだが、これに加えて僕が平素から、男女同権はあり得ないと公言していたことが、とりわけ女性陣の不興を買っていたのは致し方あるまい。
僕の男女観については別の機会に述べるとして、「女」の対語は「男」である。彼女たちは「あの男は…」などと平気で言うくせに、いざ男のほうが「女」と口を開けば差別と叫ぶのは、一種の逆差別、言葉狩りでしかありはしまい。
ビデオカメラを買いたくても買えないひとがいるなどというのは百も千も承知であって、だからこそ僕は機材を貸してあげていたというのに、それを散々手荒に扱ってきて涼しい顔をしていたのはどこの誰だというのか。その挙げ句に「ムカつく」とは言いも言ったりだが、そのムカつくブルジョアだかのおかげでどれほどの相伴に与り、勝手気ままなことをしてきたかを思い返してみたらいい。

別の後輩部員は、
「私物を持ってくる方が悪い」などと筋違いな言いがかりをつけてきたので、
「それなら俺は今この限りで私物を全て持ち帰る。発表会が立ち行かなくなっても困るのはこっちじゃないからな。」と返す刀で反駁してやったら相手はたちまち口ごもったものだが、後になって、彼女は自分のウォークマンの充電器が部室からなくなったと言い、困った顔でわめいていた。天罰覿面としか言いようあるまい。
所詮は他人事とタカをくくってその場限りの正論めいたことを口にしてみせる連中の実態は、軽率と言うよりはむしろ幼稚と言うべきだろう。幼稚というのは頭が悪いとかものを知らないということではなく、肝心なことについて考えない、あるいは何が肝心なのか分からないということだ。

もっとも、後輩の中にはもっと上手(?)がいて、
「水野さんは被害妄想が激し過ぎるんだ!」
「機材なんて置いておけば壊れるんだからそんなことで怒る水野さんはおかしい!」
そして挙げ句の果てに
「水野さんが機材を提供するのは当然のことだよ!」などと2歳年下の女性部員に面罵されはしたものだったが、こっちは黙って耳を傾けてみせながら心中密かに失笑し、この喧嘩はこれで勝ったなと思った。
どんなに僕の存在を軽んじて見せようと、喧嘩というのは言ってはいけない台詞を口にした方が負けである。それ以前に機材管理の責任者なる肩書を持つ彼女が、「置いておけば壊れる」とは一体どんな神経から発する言葉なのか。
僕はこの後機材をすべて持ち帰ってしまったが、案の定一週間もしないうちに別の後輩が、
「どうか1日だけでも貸していただけませんか…」
と、泣きそうな顔ですがってきた。「当然」なる発想がいかに危うく脆い他者への甘えでしかないことを証明するのはいとも簡単なことであったが、件の女がこの後何をどう思い直したかは知らぬが態度を改めてきたのでそれ以上の騒ぎにはなり得なかった。

ヒステリーという、悪い意味で最も女らしい一種の視野狭窄は、傍目には滑稽でさえあるが、その矛先が我が身に向けられるとなれば心中穏やかではいられまい。
それにしても、かりそめにも年上の先輩に向かって平然と悪罵を加える彼女たちの態度というのも、分かるようでよく分からない。僕に関する悪意に満ちた風説がいつものように流布されていたのか、いなかったのか。そして彼女たちが一体いつどこで何をどのように耳打ちされたのか、されなかったのか。

いずれにせよ、自立だの自由だのというもっともらしい言葉に名を借りた只の思い上がりが、同じ人間でしかない彼や彼女たちから、何を志向し何にこそ執心しなければならないのかという価値の基軸のジャイロ・コンパスをいとも簡単に狂わせてしまう。
思うに、年齢や性別に躊躇せず自分の意見を憚らず披瀝し、己が思い欲するものを得ようとし、そのために自分自身のやり方を通してみせるというのは彼や彼女たちの最大の魅力のひとつであろう。しかし、その最大の魅力こそが、彼ら自身を損ねて仕舞いかねないという現実に、僕はただ空恐ろしい気がしてならなかった。そして僕は自分自身をも戒めぬ訳にはいかなかったのである。