第2話:女性上位時代

「連中、見てごらん。妙に明るいから。ウソみたいに明るい。で、ウソみたいに明るいってのは、ウソだからなんだよ。」

矢沢永吉(ミュージシャン)


僕のように、1年生でありながら2年生のクラスに編入される人間を、この学科では「スペシャル」と呼ぶらしい。
学科の女の子に「水野クンってスペシャルなんだよね~」なんて言われると、何となく戸惑ってしまう(一部の男性読者には、この奇妙な違和感を分かってもらえるであろう)。

そんな話はともかく、このフランス語学科の授業は、オーラルコミュニケーションに主眼がおかれているようである。今まで習ってきた受験フランス語とはちょっと勝手が違う。ビデオやカセットテープを用いた視聴覚教育は、今まで経験したことがなかったものだ。
一方で、読解や文法の授業は恐ろしいほどに簡単である。授業のあまりのとろさに呆れるほどであった。授業が簡単だなどというと語弊があるかもしれないが、これは何も僕の思い上がりではなく、高校時代のシゴキを受けた人ならばきっと誰でも感じることだろうと思う。受験のために長文読解や文法の問題をいやというほどやらされた僕にとって、簡単に思えなければおかしいのだ。しかし、違う見方をすれば、たかが1年間フランス語を勉強しただけで、相当高いレベルのことをやらされるということに驚かなければならないのかも知れない。

それにしても、遅々として進まない授業を見ていると、先生の忍耐力も相当のものだと感心せずにはいられない。ある読解の授業で、フランスのサンテ病院のことが話題になった。すると先生は、
「佐川くんが入ってたのはこの病院じゃなかったかな?」と言い出した。
佐川くんとは勿論、パリでオランダ人女性を惨殺した上、その肉を食べた、あの佐川一政のことである。僕がなるほどなぁと思っていると、後ろからカン高い声があがった。
「ねえねえ、佐川くんってだ~れ~? ここのOB?」
別に誰に問うでもなく、ただゴネているのだ。この人はあの坊主頭の女性でAさんという。彼女が坊主頭にした理由は全くの謎で、他の先輩に言わせると、
「彼女ラテン系のノリだから。」ということらしいのだが、それでは理由になっていないような気もする。ともあれ、佐川くんを知らないとは余程社会知識が乏しいのだな、と僕は呆れていた。すると、僕の椅子がガクンと揺れた。Aさんのケリが炸裂していた。どうやら、僕はすぐに感情が顔に出るらしい。
「あんた、何で私より年下なのにそんなこと知ってんのよ~?」
これが、「ラテン系のノリ」なのかどうかは僕に走る由もないが、Aさんは続けざま、
「水野クン、今何歳なのよ~?」 と聞いてきたので、
「18歳ですよ。」と正直に答えると、
「うちの弟よりも年下じゃないのよ~。ガキッ!」と吐き捨てるように言い放った。しかし、自分の無知を他人に転嫁する方が余程ガキだと思うのは僕だけではない筈だが。
持論として、無知であること自体は決して恥ずかしくないことだと思う。ただ、問題なのは、知らなくてなにがいけないのよー、などと開き直ってみたり、無知が若さの証だなどと嘯いたりすることではないか。まあAさんにしてみれば、年下の、しかも童顔の男に小馬鹿にされた気持ちになったのだろう。

ともあれ、僕としては「坊主頭の女」というその存在自体が驚きだったのに、そのひとにあんなことを言われるとはもっと驚きだった。
それにしても、Aさんに限らず、この学科のひとたちはよく騒ぐ。先生が話していてもお構いなしにお喋りがあちこちで始まってしまう。それで注意しない先生も先生だが、学者であっても教育者ではないということか。

僕は戸惑うばかりだった。