第1話:だってそうじゃない!?
「彼と敵対するつもりはない。ただ友情もなければ、尊敬もしていない。」
ジャンカルロ・フィジケラ(イタリア人)
留学が決まったことで、僕が代表を務めていたサークルでも微妙な変化が起こりつつあった。部員が増えていたこともある。代表者としての手腕には欠けていた僕ではあったが、ひとつのコミュニティをあずかっている以上は自分に負える範疇でのベストを尽くすべきだと思い、そうあろうと思ってきた。
ある日、夏休みの合宿についての話があった。合宿というのは通称で、単なる旅行に過ぎないのだが、どうせなら水野のいる間に行こうと部員の多くが言ってくれ、幹事もそのつもりのようだった。が、7・8月は観光シーズンまっただ中で、費用がかさむという理由で合宿は9月下旬、つまり僕が旅立ったあとに延期されることになった。僕はこの話を後輩から耳にするまで知らず、幹事に質してみたところ、申し訳ないが実はそうなったのだと告げられた。
留学するしないにかかわらず、僕がサークルの代表者であることに変わりはなく、その行事が代表の預かり知らぬところで決められていくことに違和感を覚えなくはなかったし、幹事にしても、筋の通し方としては順序が逆であろうと思った。
しかし、そうした経緯も僕には分かる気がした。目下必要な仕事に順位をつけるのなら、これからのことが大事なのであって、去っていく人間は後回しにされても仕方のないことであろう。それに、1年前同じような情況で僕自身がある人に取った対応は、ともすれば同じように、そっけなく映っていたかも知れない。
いずれにせよ、他人の言動の上っ面だけを見て、外野が納得いくだのいかないだのと口を挟むのはお門違いというものだ。僕は担当者の心中を察した。
別のある日、以前にサークルを辞めたひとから、部の備品であるビデオカメラを貸してもらえないかという要請があり、そのひとと同級生の部員が何の気なしにOKしたところ、別の部員から「部の公共物を個人の一存で貸して良いのか」という声が挙がってきたことがあった。
小さなサークルから、いわば逃げ出すようにいなくなった人間に対する言葉にならない反感は僕にも理解できたし、横槍を入れた部員の心境を察するにやぶさかではなかったが、再三「いいじゃないですか」と開き直って代表の言うことに耳を貸そうともしなかった人間の取る態度としては筋が通らぬ気がした。自分に都合のよいときだけ他人の立場なり権威を利用しようとする薄っぺらな小賢しさは鼻持ちならぬという気にもなった。
ともあれ、僕がこうしたことに口を出さなかったことで、代表に何も言わなくても構わない、勝手に振る舞って何が悪い、といった風潮を既成事実化していたのかも知れない。後々僕はそれを自分自身のためにも痛感しないわけにはいかなかった。
僕はサークルで、講習会なるものを催していた。サークルの性格上、一定の知識のある人間がこの役を担わねばならず、人前で話すのが苦手な僕であっても、やらざるをえないという面もあったのだが、それでも後輩たちは慣れない僕が喋ることをよく聴いてくれていた。
7月の終わりになって、僕が最後の講習会を催すことになった折、印象的だった挿話がある。この日、講習会の後に前期の反省会と、その場で11月の学園祭に向けての話し合いをすることになっていた。
ある最高幹部のひとりが、僕が説明している最中に爆音でCDをかけようとした。それを制止されると部室の一角で下級生と大声でお喋り始めた。騒がしいから静かにして貰えないかと要請すると、その最高幹部は「こっちは面白い話をしよう」という捨て台詞を残して、部室の奥の別室に消えるのであった。
あの御仁が一体あの時、何のために何を志していたのか全く分からない。単に僕自身に対するいやがらせが目的だったのならそれで作戦は十分に完遂したと言えようが、あの時まじめに講習を受けていた後輩の一人が、露骨に不快な顔をしていたことを僕は見逃してはいなかった。後輩の怒りが果たして彼らに向けられていたのか、それともこの状況を制御できずにいる僕自身に向けられていたのかは知る由もないが、確かなのは、あの日イヤな思いをしたのは僕一人ではなかったということだ。
しかし、話はここでは終わらなかった。後になって、あの日の講習会が長引いたことで、学園祭の話し合いが出来なくなってしまった、その原因はお前だという旨の批難を受けたのであった。批難した人というのは誰あろう、件の御仁である。僕もあの時、講習が長引くことが分かった時点で、講習を受けていなかった人たちには、反省会が行われる部屋に移るよう促していたのだが、それを再三に渡って無視し続けてお喋りをやめなかったのはほかならぬ彼とその一味なのであって、その彼が僕を詰る資格が一体奈辺にあったというのだろうか。あのような態度を平然と取っていられたのも、つまるところ、あの講習会が彼の企画したものではなかったからだろう。
僕自身に配慮がなかったと言えばそれまでかも知れないが、講習会をやることはひと月も前から分かっていたことで、あの日にどのような話し合いをするつもりだったのか、どれくらい時間が必要なものか、学園祭の担当者は事前に何も言って来ずに、いざ当日自分の都合通りにならないと分かるや文句を言うというのであっては反駁のしようがない。それでも、当の担当者自身が僕に直接文句なり抗議を寄せることがなかったのは、最後くらいは代表に花を持たせたいという彼らなりの配慮だったのかも知れないが。
そのような手合いがいるならいるで、 それなりの対応をしなければならなかったという意味で、僕は決して責任を免れ得るとは思っていないが、あんなに都合のいい転び伴天連を前にしては、一体何が本当なのかも分からない。
自分から濠を埋めておいて「お城が丸裸だ」と叫ぶ手合いに遭遇するのは何も初めてではないが、どだいそのようなズルシャモに肘を振って叫んでみたところで、呼応するものを期待する方がいけなかったということなのだろう。
自分と意見の合わない部員を次々と退部に追い込み、小さなサークルの弱体化に拍車をかけたうえで僕に政権を禅譲したのは、ほかならぬあの最高幹部自身なのだから、少なくとも今までは彼が僕を邪険に出来なかったことは確かだろうが、新入生が大挙して入って来たいま、もう一花咲かせたいという欲が出てきたのだろう。最上学年として既に功なり名遂げていた彼にしてみれば、消えていく僕にどんな態度をとったところで痛痒を感じることはなかったろうし。
それにしても、常に実害のないところに陣取って、自分のやりたい放題をしつくした挙げ句に負債だけは他人に押しつけて先輩面をしようというのは何とも奇妙、というよりやはり姑息な手立てとしか言いようない。プライバシーに関わることだから詳細は記さぬが、彼自身の過去を知れば、その反動としてああした言動に出ることもむべなるかなと思えたし、その程度の人物だから、たかが一人や二人の異性とのかかわりで、あれほど狼狽することにもなったのだろう。
いずれにせよ、ひとの悪口など言いようによってはいくらでも言えるということだ。それは、僕にうしろ指をさす側にしても同じであるに違いない。
他人の存在を、自己の主観を達成するためのいわば手段や道具としてしか見なさない風潮というのは一体何なのか。日本を離れる直前に見せつけられた最も日本的な人間関係の側面を前に、僕はいまだに首を傾げている。