第4話:日曜はダメよ

「私はフランス人なのよ。気難しいなんて当たり前じゃないの。」

ソフィ・マルソー(フランス人)


日本にいた頃、ベルギーに行くんですよと知り合いに告げたら、
「あら、水野君ベルギー語喋れるの?」と訊かれて面喰らったものだが、ベルギーは狭小な国土ながら地域によって言語が異なり、大雑把に言うと北半分はオランダ語、南半分はフランス語、東部の一部ではドイツ語が用いられ、首都ブリュッセルではオランダ語とフランス語の2か国語が併用される。

僕がいるのはフランス語圏なのだが、ベルギー人の話すフランス語(ベルゴ・フランセ)というのはフランス人のそれ(フランコ・フランセ)とは微妙に異なっている。例えば数字の"70"は、フランスでは"60+10 (soixante-dix)"と表すのに対してベルギーでは素直に"70 (septente)"と言う。僕は当初、日本で習っていた通りのフランス語、つまりはフランコ・フランセで話していたのだが、1週間もしないうちにすっかりベルゴ・フランセに染まってしまった。
蛇足ながら、ベルギーの首都のことを英語では「ブラッセルス(Brussels)」と言い、オランダ語では「ブルッセル(Brussel)」、そしてフランコ・フランセでは「ブリュクセル(Bruxelles)」となる。「ブリュッセル」と発音するのはベルゴ・フランセ独特の訛りで、してみるとベルギー語という形容も言い得て妙な気もしてくる。

さて、日本で発給された就学ビザには、「ベルギー入国後8日以内に地域の役所に届け出ること」とあり、アパートを決めた数日後にはルーヴァン・ラ・ヌーヴの支所に向かった。すると、申請にあたっては在学証明書など大学発行の書類が必要で、1週間後の午前10時に改めてここに来いと言われた。そして約束の日。書類を準備して行ってみて僕は唖然とした。支所はもぬけの殻。そして、建物自体の取り壊し作業が行われていたのだった。工事現場の前には小さく「支所は下記の場所に移転しました」の掲示。どうして、1週間前の段階で移転することを教えてくれなかったのだろうか。
しかし、こういういい加減さこそがベルギー人の特徴であるということに、僕はまだ気づいていなかった。

ルーヴァン・ラ・ヌーヴには国鉄の支線が走っており、平日にはブリュッセル行きの快速列車が乗り入れていて便利なのだが、休日ともなると列車本数がガクンと減り、都心に出るには隣のオティニー駅まで鈍行列車に乗り、そこで急行列車に乗り換えなければならない。が、ある日、予定時刻を5分すぎても急行列車がやって来ない。駅員をつかまえて、訳を質したら、彼はこう言い放った。
「何を言ってるんだ。たった5分じゃないか、じき来るさ。」

僕を空港に迎えに来てくれたB君が後になって日本に留学し、その後ベルギーに一時帰国した際に、自分は日本人化してしまったと感じたそうだ。
列車があまりにオンボロで、おまけに定刻というものをおよそ無視して走ることに憤りを覚え、そして友達と待ち合わせをして相手が平気で遅れてくるいい加減さに苛立ってしまう自分自身に気づいた時、彼は自分の思考が日本人のそれになってしまっていることに驚愕したのだとか。

ベルギーに限った話ではなかろうが、カトリックの国では日曜は安息日なので店という店がことごとく閉まってしまう。折角ブリュッセルまで出かけても、開いているのはレストランと土産屋だけということに最初は戸惑ったものだが、日本の繁華街が週末に異常な混み方をするのとは対照的であって、静かな町をのんびり散策するのも悪くはないと思えるようになってきた。僕も思考がだんだんと現地人に近くなってきたということだろうか。

ともあれ、留学生活はまだまだ続いてゆく。