「彼は全体の熱狂ぶりに参加せずにはいられなかったが、この人間らしからぬ声はいつも彼を恐怖感で満たした。もちろん彼はみんなと一緒に合唱したのであった。そうするしかなかったのである。自分の感情を隠し、顔色をコントロールして他の人々と同じ行動を取るというのは本能的な反応であった。」
「奴らを信用すげきじゃなかったよ。わしはそういわかなったかね、婆さんや? こんな目に合わされるんだ、奴らを信用すると。わしは初めからそう言ってきたのだ。畜生どもを信用すべきじゃなかったよ。」
「恐ろしいことは、それがすべて真実になるかも知れないということであった。もし党が過去に手を加えて、あれもこれもかつて発生したことのない事件だと宣言できるのであれば - それこそ疑いもなく、単なる拷問や死よりもはるかに戦慄すべきことではなかろうか。」
「一般的にいって、党の不興を招いた人物はただ姿を消してしまい、二度とその名は聞かれなかったのである。その消息については爪の垢ほどの手掛かりさえつかめないのであった。」
「現実にいまわれわれの理解しているような思想は存在しなくなる。正統とは何も考えないこと - 考える必要がなくなるということだ。正統とは意識を持たないということになるわけさ。」
「彼らは意識を持つようならない限り決して反逆しないだろうし、また反逆した後でなければ意識は持てないのである。」
「なにもかも深い霧の中に没して行った。過去は抹殺され、抹殺されたものも忘れ去られ、虚構が真実と化してしまった。」
「悪夢のような思いで、彼をもっとも悩ませたのは、この巨大な変造工作が行われた理由を、どうしても明快に理解できないことであった。過去をごまかすという目先の利益は明白なものであったが、その終局的な動機は謎であった。」
「おしまいに党は2足す2は5だと発表するようになるだろうし、自分もそれを信じなければならなくなるであろう。遅かれ早かれそうした主張が行われるのは避けがたいことであった。彼らの置かれている立場の論理的な必然性がそれを要求するのだ。ただ単に経験の正当性でなく、客観的な事実の存在そのものまで、党の哲学によって暗黙のうちに否定されるのである。異端の中の異端こそ常識だった。そして戦慄すべきことは正反対の考え方をしたために殺されるということではなくて、むしろ彼らの方が正しいかも知れぬと思いこむことであった。」
「サイムは消え失せてしまった。ある日の朝が来ても、彼は勤めに姿を見せなかった。思慮の足りない数人が彼の欠勤についてとやかく言った。明くる日になると、誰も彼の話を口に出さなくなった。3日目にウィンストンは記録局の玄関口に入って行き、掲示板を覗き込んでみた。ひとつの掲示板にはチェス委員会の名簿が印刷してあって、サイムもメンバーの一人だった筈である。以前に見たのとほとんど変わりのない顔触れであった - 抹殺した印もついていなかったが、しかし委員は一名だけ減っていた。それだけで充分だった。サイムは存在することをやめてしまったのである、かつて一度も存在しなかったということになったのだ。」
「党の世界観は、それを理解できない人たちに最も巧妙に押しつけられていたのだ。現実に対する最も無法な冒涜を彼らに容認させることはわけもなかった、なぜなら、彼らは自分たちに要求されていることの非道さをついぞ全面的につかんでいなかったし、現実の出来事が気になるほど公けの事件に充分の関心を持っていなかったからである。理解を欠いているからこそ、彼らは正気でいられるのだ。彼らはただ何もかも鵜呑みにしてしまった、鵜呑みにしたものは彼らに害を与えたりはしなかった。あたかも穀物の一部が消化しないで鳥の体内を素通りして行くように、後には何も残さなかったからだ。」
「我々の社会にあっては、当面の出来事を最もよく知悉している人々こそ、世界の現実を最もよく見極めることの出来ぬ人達だ。」
「少数派であろうと、いやたった一人だけの少数派であっても、人間を狂わせることは出来ないものだ。この世には真実があり、そして虚構もあるのだけれど、もし全世界を敵に回して真実にしがみついたとしても、気が狂っているわけではないのだ。」
「党が真実だと主張するものは何であれ、絶対に真実なのだ。党の目を通じて見る以外は、現実を見ることはできない。」
「ウィンストン、君がいかに心から屈服したとしても、命だけは助かると考えてはいけない。いったん道を誤った者の中で、目こぼしを受けた者は一人もいないのだ。それによしんば君が最後の日まで生き存えることが許されたとしても、君は絶対にわれわれの眼から逃れ去ることは出来ない。ここで君の身に起こる事は永久に変わることのないものだ。この点を前もってよく承知していてもらいたい。我々は、君が後へ引き返しようもない点まで叩きのめしてやる。たとえ君が千年生きられたとしても、元の状態には戻れない程のことが君の身に起こる。君は二度と再び人間らしい感情を持てなくなるだろう。君の心の中にあるものはすべて死滅してしまうだろう。君は二度と人を愛し、友情を温め、生きる喜びを味わうことも出来まい、笑ったり、好奇心を抱いたり、あるいは勇気を奮い起こしたり、誠実であろうとすることも出来まい。君は抜け殻になってしまうのだ。空っぽになるまで君を絞り上げてやる、それからわれわれを、その跡に充填するのだ。」
「党はただ権力のために権力を求めている。われわれは他人の幸福などにいささかなりとも関心は抱いていない。われわれは権力にしか関心がないのだ。富のためでも贅沢のためでも、また長生きするためでも幸福を求めるためでもない。ただ権力、それも純然たる権力のためなのだ。純然たる権力とは何か、それはこれから説明する。われわれは過去のあらゆる少数独裁制とは根本的に違う。その限りにおいてわれわれは計算ずくで行動している。われわれ以外の独裁者は、われわれによく似た独裁者さえ臆病で、偽善者だったにすぎない。ナチ・ドイツもロシア共産党も、方法論の上ではわれわれのそれに極めて近かったが、しかし、彼らには権力追求の動機を口にするだけの勇気はなかった。彼らは不本意ながら、そして暫定的に権力を握ったのであり、しかも眼前に人間の自由と平等を実現する地上の楽園が来ているような態度を装うか、あるいは本気にそう思いこみさえしたのであった。われわれはそんな手合いとは違うんだ。およそこの世に、権力を放棄する心算で権力を獲得する者はいないと思う。権力はひとつの手段ではない、れっきとした一つの目的なのだ。何も革命を守るために独裁制を確立する者はいない。独裁制を確立するためにこそ革命を起こすものなのだ。迫害の目的は迫害それ自体にある。権力の目的は権力それ自体にある。拷問の目的は拷問それ自体にある。さあ、これで私のいわんとするところが分かりかけたかね?」
『1984年』 ジョージ・オーウェル 著/新庄哲夫 訳/ハヤカワ文庫・刊