第9話:祭りのあと

「人生は短く、人はみな遠からず死ぬ。これは真実だよね。」

スティーブ・ジョブス(アメリカ人)


怒濤の1週間が過ぎ、ワイドショー番組のけたたましい報道も収まりつつあった。
葬儀は終わったが、もちろん事件が解決したわけではなかった。僕自身、警察関係者から「お話を伺いたい」と請われて喫茶店で幾度か事情聴取を受けたし、R放送の若手社員に至っては、警察署まで出頭を求められた上に、半ば犯人扱いされるような取り調べをされたともいう。

事件後、気がついたら僕は体重が5キロも減っていて、R放送のある社員には
「水野、お前大丈夫か。本当に大丈夫か?」などと心配されもしたが、食べるものは食べていたから自分自身驚いた。
秋になり、来年度の交換留学要項が告知された。去年、Kさんも同じように申し込んでいた筈である。僕は何の準備もしないまま選考に臨んだ末合格して、ベルギーに留学することになった。

暫くして、僕はR放送のアルバイトである厄介な出来事に悩まされた。
あの夏からアルバイトを始めた後輩たちが、妙な権利意識に目覚めだし、「バイトは個人の問題だから干渉しないで欲しい」などと言い始め、この先欠員が出来るのにどうするのか、という僕の主張に耳を貸さないばかりか、自分たちに都合の良いことだけを社員に告げ口するに至って、結果的に僕は悪者に仕立て上げられたのであった。
何の長期的な視野もなく、目先のカネ欲しさに起こした姑息な手立てとしか言いようがないが、それで何の関係もない人々をも巻き込んで、今まであったものをメチャメチャにしてしまうことで、彼女たちが何を得ようとしていたというのか。
連中が働き始める際には、Kさんをはじめ、先輩方が我慢してまで機会をつくってくれていたというのに、何という罰当たりな連中だろう。が、罰を下すのはあくまでも天に在る者なのであって、僕が私刑を企むのはお門違いだろうと歯を食いしばっていた。後になって天罰は下るべく下ったろうが、果たして連中が何のために何を志してあんな挙に出たのかはいまだに分からない。

ベルギーへの出発を目前に控えたある日、R放送の社員たちが僕を食事に連れて行ってくれた。こんな席を設けて下さった陰には、社員たちは誰も口にはしなかったが、1年前のことが念頭にあるのは間違いなかった。僕は、自分が食事に招かれたということよりもむしろ、社員たちの誰もがKさんのことを忘れてはいないんだということを知って嬉しかった。

留学を終え帰国した僕は、Kさんと僕の共通の知人であった卒業生の案内で、初めて彼女のお墓を訪れた。小高い丘の上に建つ墓石の周りには、生花や鉢植えが所狭しと並べられていた。
お参りをして、さて帰ろうかと思ったその時、後ろから声がした。
「ありがとうございます。」
驚いて振り返ったその先には、Kさんのご母堂の姿があった。
この思いがけない出来事に、僕はある強い感慨で立ち尽くしていた。
どんな言葉や理屈をも超えた不可知なるものの存在を、これほどまで強烈に感じさせられたことはなかった。

ともあれ僕は、毎週一緒にいた人のことを何も知らなかったという事実に愕然とし、失ったものの価値を、失ってみなければ分からない自分の不甲斐なさを恥じずにはいられなかった。
人生に「絶対」はない、「当たり前」なるものはいとも簡単に粉砕されるということを悟らされ、ある日突然にめくられる人生の最終ページを意識するようになってからの僕は、人や物の見方が変わったように思う。

気がつくと、僕はとっくに彼女の年齢を追い越してしまった。しかし、彼女ほど気丈に、そして年相応の振る舞いがるようになったかと言えば、もちろんそんなことはなく僕は相変わらず僕のままだ。

あの夏の出来事から、もうすぐ4年になる…