第1話:ありがとうHighschool Days
「決心するのはものすごく難しいけど、決心した瞬間、君はすごく楽になるだろう。」
ジャッキー・スチュワート(スコットランド人)
大学受験。今となっては遠い昔のことのようにも思えてしまうが、その一方で高校を出てからさほど日にちが経っていないようにも思えてしまう。
あの頃は、とにかく「大学に入らなくてはいけないんだ」とまるで宗教のように自分に言い聞かせていたが、果たして自分が大学で何を勉強すればいいのか、そしてそれが将来にどうつながってゆくのか、そんなことが分かる筈もなく、とりあえず、今までフランス語を勉強してきたんだからそれを続けてみたいな、と思っていた。
ところで、僕がいた中高一貫教育の学校では中3から漢文の授業があり、これは高3まで続いた。珍しいことに、4年間殆どの間同じ先生に習っていた。そのM先生は当初大学院に通いながら非常勤講師をされていたが、やがて専任の教師になられた。
高3になって、受験が現実問題になってきたある日、M先生は「鶏口牛後」の故事成語を授業で取り上げ、自身の受験について語り始めた。
曰く、自分は高校の時ロクに勉強もせず浪人した。一浪して、早稲田大学に受かったのだけれどこれを蹴って國學院大學に進学したと。世間体とかを考えるよりも、自分で望んだ道を選んだのだから、後悔はしていないと。
僕は、この話に密かに感動していた。そういう生き方だってあるんだ、と。
果たして、受験が終わってみると、僕は第一志望だった上智大学の他に、慶応大学にも受かっていた。両親や先生方は、こぞって慶応への進学を勧めた。けれども、僕は自分が選んだ道を歩む以外の決断を下す気にはなれなかった。
M先生の話を聞いていなかったら、ひょっとしたら僕は周りに言われるがままに進路を変えていたのかも知れない。そして僕の大学生活はもっと退屈で、単調なものになっていただろうし、いまこうして留学していることもなかっただろう。
そう思うと、先生の何気ない思い出話が、僕の人生に決定的な影響を及ぼしていたことになる。M先生に習っていなかったら、今の自分がないんだと思うと、何だか不思議な気持ちになる。
大切な思い出というものは、こうしてつくられてゆくのだと思う。