第10話:あなたが教えてくれたもの
「別れるのなら別れるで、もっと別の方法があったはずだ。自分が一番身勝手だったことは認めるにせよ、こんな結末はみんなを、おれと利加子と瑞枝と、そして死んだ山科を傷つけることになったではないか。こんなことが許されていいものだろうか。」
『b.とその愛人』(山川健一・著)
留学が決まって、そうそうぼんやりとはしていられなくなってきた。
4月になって、新入生はたくさんサークルに入ってくれたが、上級生同士の緊張は続いていた。今となっては過ぎたことだから、あの頃のことについていちいち論うのは避けたいが、全部人のせいにして自分は無関心を装うような態度は決して許される筈はなかったし、よしんば誰かが許したところでそれを正しいとは思って欲しくなかったということだ。ともあれ、自分の都合の悪いことにはだんまりを決め込み、利用できるところはそっくりいただいてそれを自由と呼ぶのは戦後民主主義の顕著な一現象ということなのだろう。少なくとも、僕にはそのようにしか映らなかった。
そんなふうに気が滅入っていた頃、3月に卒業したばかりのOG、T女史から電話がかかってきた。
電話の内容は、寮に引っ越したとか仕事がどうだとか、そんな他愛もない話だったのだが、それでも僕はなぜか嬉しかった。彼女と話しているだけで、なんでこんなに気持ちが楽になるんだろうと思った。Tさんに対して、恋愛感情を持ったことは一度もないだけに尚更不思議だった。
この時僕は、自分が決してひとりじゃなく、誰かに支えられているということを噛みしめると同時に、もうひとつの心境についても気づかずにいられなかった。
それは、自分が同じように後輩たちを支えていたかという疑問である。自分が愛されていたように、ひとを愛していただろうか。善人ぶって彼女たちに説教をする資格が、この僕のどこにあったというのだろう。しかし、なぜこんなことになったのか、今でも腑に落ちない部分はある。どこかに無理があったのだろうか。いずれにしてもなお、僕は誠実でいられただろうか。
8月のある日、サークルの仲間が僕のための送別会を開いてくれた。そういうのは恥ずかしいからやめてくれと言ってはいたのだが、いざ皆に囲まれると、何とも言えぬ感慨を覚えずにはいられなかった。僕を取り巻く環境について心得ている者、何も知らず微笑んでくれる者。今になって振り返ってみると、いろいろ思い出されることも多いが、彼らもまた、口に出せない気持ちで僕を支えてくれていたのだと思う。
卒業間近にTさんは「留学したら、たくさん絵はがき送ってね」と言った。僕は約束を守って、旅行するたび彼女に宛て手紙を書いている。
筆を執るたびに思い起こすのは、幼すぎたあの頃の恥ずかしさである。そして、T女に限らず、今まで僕のために有形無形の応援をしてくれたひとたちの気持ちを振り返らずにはいられない。「ベストを尽くしてガンバれ!」と僕を送り出してくれた先輩もいたし、留学してからも、忙しい中幾度となく手紙やEメールを送ってくれるひとだっている。
僕は自問する。こうしたひとたちの気持ちに応えているのだろうかと。しかし、応えるとか言うよりも、同じように自分が、ひとのために役立たねばならないという、その自覚の方が大切だと思えた。
その気持ちを胸に、いまを生きようと思う。