第9話:その彼の名は
「みんな、自分だけのものさしをしっかり持って、そのときに自分が納得して、充実していられればいいと思う。」
加藤いづみ(シンガー)
わが家の近所に、小ぎれいなマンションがある。その駐車場に、平日の昼間から車をいじくっている若い人がいた。車好きの兄がその人と親交を持つようになって、その若者がS氏といい、35歳の歯科医であることがわかった。そのうちに僕が留学を控えて親知らずを抜くことになり、S氏もといS先生のお世話になるようになった。
そして、S先生と個人的に話をするようになって知ったのだが、その経歴がスゴい。本人の承諾を得ているわけではないので詳細を記すわけにもいかないが、 20歳過ぎで高校を卒業してから音楽活動一色の生活に明け暮れ、昼夜逆転の生活に嫌気がさして転職を考え、医者になろうと思い立ったものの、人の死に目を見るのは嫌だ。じゃあ歯医者だというわけで猛勉強して大学に合格。この時、彼の過去を知る人々は「奇跡の社会復帰」と評したらしい。
音楽の仕事を続けていれば今よりも収入はあった、と言う。でも、自分の人生に全然悔いはないし、いまの仕事に満足しているとも言う。かっこいい。とても真似できない生き方だ。おまけに、歯科医としての腕前は、僕がかかった他のどの医者よりも秀れているように思えた。親知らずも殆ど痛みを感じることなく抜いてもらうことが出来た。別の歯科で反対側の親知らずを抜いた折、麻酔を5本も打ってなお涙が出るほど痛かったことを思い返すと、その器用さには脱帽するばかりだ。
S先生の知り合いに、フェラーリを乗り回す人がいて、以前そのタイヤがパンクしてしまったという。その知り合いはすぐにレッカー車を呼んでコーンズ(フェラーリのディーラー)まで運んでもらったというので、S先生が「どうしてその場でスペアタイヤに交換しなかったのか」と訊いたところ、「どうして自分の手を汚してフェラーリのタイヤを変えなきゃいけないんだ」と切り返してきたのだという。つまり、その人にとってはフェラーリは車というよりもアクセサリーのひとつであり、オメガの時計が止まったらお店で修理してもらうのと同じことなのだと。車が好きで乗っている自分には分からない発想だけどそれもその人のセンスなんだな、と。
S先生の繰り返す「センス」という言葉にはつくづく頷かされる。単なる服装や見てくれにとどまらない、ものの考え方、自分の生き方としてのセンスは重要だと思う。
こちらに留学してからかねがね思うのだが、日本の若い女性の服装はヨーロッパのそれに比べると、どれも同じに思えてしまう。化粧のしかたにしても然り。つまるところ、服なりメイクなりを選ぶセンスを自分で見出そうとせず、ひたすらファッション誌のグラビアに拠っているという情況、すなわち、雑誌なり他のメディアなりが素敵と称する基準に自分を合わせて安心しているというような体たらくではそれもむべなるかなと思えてくる。そうした安易な依拠は、何もファッションの領域に留まらないことであろうが、自分でいいと思っているのならそれこそがその人のセンスということになるのだろう。
出発を翌日に控えた9月のある日、あのマンションの前を通ると、S先生はクルマをいじくっていた。こうしたことが出来るのも、平日に休診日があるからなのであった。
しばし立ち話をした後の別れ際、S先生は「歯ぁ磨けよー」と僕を送り出してくれたものだが、ひょっとしてあれは「ドリフ」だったのか、と今になって思い返してしまうことしきりである。