第8話:好きになって、よかった
「僕が何かに取りつかれているとしても、それはいたってポジティブなものさ。僕は常にせきたてられているけど、それは決して不健康なことでも、病気でもない。」
アイルトン・セナ(ブラジル人)
ラジオを聴くようになったのは、いつからだろうか。ハッキリとは覚えていないが、小学校低学年の頃既に「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を聴いていた覚えがあるから、つきあいは10年以上ということになる。
僕はなぜか、FM放送をあまり聴かなかった。好きな歌手がパーソナリティを務めていた番組はチェックしていたが、妙に飾ったFMの都会的な感じよりも、AMのアットホームな雰囲気の方が性に合っていた。
平成6年(1994年)の秋頃から、ニッポン放送で始まった「上柳昌彦の花の係長!ヨッお疲れさん」を毎晩のように聴くことになった。番組のタイトルからして若者とはおよそ縁遠い、サラリーマン向けのものではあるのだが、僕はこういうタイプの番組が好きだ。後年、その童顔にも拘わらず「おっさん」なるあだ名をアルバイト先で頂戴することになったのは、こうした耳年増のせいだろうと思う。
上柳アナは局アナでありながらかつてはフジテレビの「夕やけニャンニャン」にも出演していたらしいのだが、なぜか僕の記憶にはない。あるいは、記憶の片隅にあった懐かしい声が僕を刺戟したのかも知れない。
アシスタントのいない一人喋りであるにも関わらず、軽妙なトークで飽きのこない番組だった。ラジオというのはテレビと違い、語り手のホンネというか素の姿が浮き彫りになるような気がする。阪神大震災、地下鉄サリン事件など未曾有の事態に、マイクの前で涙してしまうサラリーマン係長の姿は、多くの人の胸を打ったに違いない。かくいう僕もそのひとりで、受験が終わってもラジオを聴き続けた。番組の最終回の日にはわざわざ有楽町まで足を運び、「出待ち」をしてサインまで貰った。僕以外にも多くのファンが上柳アナを囲んでいた。
番組の中でだけ愛想が良く、ファンには冷たいタレントがいるなどという話はよく耳にするものだが、上柳アナは番組の中で見せる、いつもの明るさでファンに応じていた。何がいったいこれだけの人を惹きつけさせるのかが分かる気がした。
最終回の翌日は、大学の入学式だった。
大学に入ってからはラジオを聴く機会もめっきり減り、上柳アナは「お台場のバツイチ男・うえちゃん」としての活躍を噂に聞く程度になってしまったが、今でも銀座でアルバイトをした帰りに有楽町へ寄っては、あの受験の頃のささやかな思い出に浸るのである。