第7話:うしろ指さされて
「いや、そう思ってるなんてことじゃなくて、そうだってことを知ってるんだ。」
ケケ・ロズベルグ(フィンランド人)
僕の通っていた学校は、中高一貫教育であった。高校1年生のことを「4年生」と表現していたほどだ。中学に入る段階で、第1外国語に英語かフランス語を選択することが出来た。そして、僕はフランス語を選択した。両親は揃って英語を取るよう勧めたものだが、「ひとと同じことをやってもつまらない」と、当時12歳の僕は譲らなかった。この頑固さは一体誰に似たのかと思う。
自分で決めた道だったからそれなりに頑張ったし、それに見合うだけの成績を挙げることが出来たため、担当の先生方にはかわいがられていたものだが、それにしても、高校生になってからのフランス語の授業はかなり高度だったように思う。新聞記事をいきなり全部訳させられたり、かと思えば近代文学を読まされたり、間違いやすい仏作文の訓練など、多いときは週に11時間もあったのだから、今思えば凄いことだ。そしてその内容は、大学の専門にも決して負けを取らなかったと思う。
例えば、フランスの本土は六角形に似ているので"Hexagone"と表現することがあるのだが、大学に入ってから僕が授業中にこの言葉を用いたところ、教授以外誰も分からなかったということがあった。
高校3年になって僕が上智にも慶応にも受かったと判明するや、先生方の間で
「水野は上智に入れるべきだ」「いや慶応だ」などと、侃々諤々の議論が起きていたらしい。挙げ句、
「水野、大学を出たらうち(高校)の仏語科を継がないか」などと言い出す先生まで現れる始末であった。ひとの息子を肴に盛り上がるのも結構だが、大きなお世話という気もする。
そんな最中の保護者会で、Tというクラスメートの母親が、聞こえよがしに
「普通慶応受かったら慶応行くわよねぇ。」などと言っていたという。僕の母以外にも目撃者がいるから事実であろう。
ひとの息子のことをどうこう言うのもまあ勝手と言えば勝手だが、肝心の自分の息子は早々に浪人が確定し、更に翌年も浪人することになったのだから、まったく何をか言わんやという気にもなる。しかも聞くところによれば、その母親は息子を何としても大学に入れるがために、ある教員に多額のカネを積んで個人教授までしてもらっていたとか。
これ以上の話は憶測にしてもなお当人の名誉にかかわる問題であろうからここでは記さぬが、そんな人物にうしろ指をさされていたのかと思うと、今にしても腹立たしい気持ちにはなる。