第3話:パーティに君は来るの?
「誰にも頭をさげる必要はなかった。彼の前に立ちはだかる政敵は、冷酷な計算と妥協のない戦略で征服されていく。これが、彼の強みであると同時に弱みでもあった。強みは誰にも借りを作らず、思い通りの政策を実行し得たこと。弱みはまさにその裏返しで、思い通りにやってしまったから多くの敵を作ってしまったことだ。」
落合信彦(作家)
帰国早々嵐を呼ぶ結果にはなったが、言うべきことを言い、自分の立場を表明する以外に僕は選択肢がない状況であった。もっとも、僕にそんな対応をして見せたのはほんの一握りの幹部連中のみであって、ほかの下級生たちは僕を取り巻く状況を知ってか知らずか、ごく普通に接してくれてはいた。
その下級生たちと話していて実に不思議だったのは、先代の代表者であり、僕の留学中に大学を卒業したA氏のことを口をすると、彼らの多くが不快そうな顔を見せ、あたかもA氏について触れることがタブーであるかのような空気が流れるということだ。その理由についてすら彼らが明言を避けるのは何とも奇妙に思えたが、しかしそれもまた僕には分かるような気がした。
1年前の7月、A氏が自分の就職内定祝いをやろうと言い出した。自分の祝い事を自分で企画してしまう厚かましさには恐れ入るが、流石に自分でも恥じらいの気持ちが少しはあったのか、
「水野が留学する前に飲み明かす機会もほしいことだし」とつけ加えてはいた。そして、どうせだから卒業生も呼んで交流を深めようという風に話を膨ませていった。
希望業種への就職も決まって文字通り得意絶頂にあったA氏は、サークル内で治天の君と化していた。この飲み会の話にしても、当時の代表であった僕には何の予告も相談もなかったが、何よりもまずA氏の顔を立てることが、当時は暗黙のルールになっていた。
当日、待ち合わせは渋谷のハチ公前であった。梅雨明けの季節であるから、当然暑い。僕が約束の5分前に現れると、既に数人の卒業生の姿があった。挨拶もそこそこあたりを見渡してみると、下級生の姿がまばらである。事情を質してみると、さる部員が「暑いからデパートに涼みに行こう」と言って10人近くの徒党を組んで消えてしまったのだという。卒業生が待っているのに何を考えているんだと思っていると、この日のホストであるA先輩がしっかり5分遅れて現れた。主役は最後に登場というわけか。しかし、全員が集まるのにはさらに10分以上が必要だった。デパートに行ったきり、帰ってこない連中を待たねばならなかったのだ。あるOGはハンカチで額をぬぐいつつも微笑んではいたが、その眼は決して笑ってはいなかった……
こんな光景を見せつけられて、僕は顔から火が出るほど恥ずかしかったが、祝い事の席で怒っても仕方がないのでここは堪えた。パーティーのホストたるA氏はそれをして何とも思わなかったと言うが、言いだしっぺの人間が何ら責任を負わないと言う面妖さは、つまるところその人物の限界としか言いようない。デパートに消えた後輩たちも、自由とわがままの分別もないままに起こした自らの行動を顧みることはなかったに違いない。物事の善し悪しというのは法律やルールが決める以前に、人間自身が自分を律しない限りは分別できないものだと思う。自分が常に他者と暮らしている以上、自分だけの基準がどこでも通用するわけではないのだ。それを分からずにいるのならとんでもない無恥、知っていてそれでも他人に犠牲を強いているのなら恐るべき厚顔としか言いようがない。
聞くところによれば、Aは別の機会に取り巻きたちと飲みに行って酔っぱらった挙げ句、一人暮らしをしている女の子の部員に電話を掛け、今からお前の家に遊びに行くからなと言って夜中にその子の家に上がり込み、挙げ句「水野は所詮代表の器ではない」云々と一席ぶちあげていたとかいう話だが、A氏にとって僕の印象が代表失格であるとしても、ならばA当人の代表としての印象は何だったというのか。
A氏が代表を務めた間、僕は副代表という役職にあり、僕はAの下した様々な決断や、それによって明らかになった失態についてその殆どを知り得る立場にあった。Aと意見が合わないというだけで半ば追い出されるように辞めていく部員が何人もいて、僕は彼らの言い分を聞くこともあったが、僕を含め皆が選んだ代表なのだからその行いは正当化されるべきだと思い、A氏を支持してきた。
時にはA氏自身の相談相手にもなったが、氏の苦しい事情を他言することはなかったし、それはとりもなおさずサークル自体の破滅につながることでもあった。僕は結局、Aの衣鉢を継いで瀕死のサークルを引き受けることになったもの、その後部員が増えた頃にはA氏が代表を務めていた間の薄暗いエピソードは話題にものぼらなくなった。それで喉元過ぎればということなのか、それとも自分の虚像と実像の区別がつかなくなっていったのか、批判勢力というものを根こそぎ排斥していった彼はサークル内のビッグ・ブラザーとなっていた。豊臣秀吉から麻原彰晃に至るまで、批判者を失った独裁政治はどこかしらおかしくなるものだが、この時点で、僕を含め「NO」と言える人材があり得なかったこと、全員が全員A氏のやり方に盲従してしまい、翼賛体制を既成事実化していったことが、後々のA氏を巡る出来事の遠因となっていったことは間違いなかろう。
A氏とそれを取り巻く人々の間に果たしてどのような軋轢や確執が拡がり、A氏への評価がガラリと変わることになったのか、留学中の僕には知る由もない。ただハッキリしていることは、Aの存在感なるものは、所詮はその取り巻き連中の過大評価なしにあり得たものではないということだ。批判者のいないところで出来上がる評価なるものが、その人物の実像を照らし出そう筈がないし、ここでは詳しく記さぬが、彼に傍惚れした女や女たちとの関わり合いの態様ひとつ眺めてみても、反吐が出そうな話でしかない。
1年前、「水野君が避けられている」筈だったのに、実際に避けられることになったのが他ならぬ皆の憧れのA先輩だったというのは、歴史の皮肉というよりも、さしずめ天の戒めといったところか。
恋してるとか好きだとかいう個人の嗜好の問題はともかくとして、Aなどという愚にもつかぬ男を信奉してしまった人々の不幸は拭うべくもない。