第5話:夏の日
「時も場所も相手も考えずに、善悪の問い掛けをすることもなく、ただ自分が『したい』と思ったことだけをそのまま行動に移す。そして困ったことにそれをすっかり『個人の自由』であると思いこんで正当化してしまっている。」
八木秀次(大学講師)
僕が帰国してから経験した妙な出来事の連続に垣間見えてくるのは、とかく訳の分からぬ理屈を並べて自分は間違っていないと言い張る手合いの存在である。批判というものを受け入れようとしない発想は一体どこからやってくるのか。何だかんだと言ってみても、結局は親のしつけの程度の現れということになるのだろう。それは各家庭の問題だから、赤の他人がとやかく口を挟んだところでどうにもなることではない。先にも述べた通りブスな子は美人にはならないが、よもやその子の家に押し掛けて「何でお宅の娘はそんなにブスなんですか」などと言うわけにもいくまい。それと同じだ。
さて、大学は夏休みに入ったが、8月上旬の3日間にわたって、学園祭に向けてのミーティングが行われることになった。僕のような上級生が出る幕ではないのだが、どうせヒマな身であるし、顔を出してみることにした。すると、部室には部員が4~5人しかいない。連絡が行き届いていないのかと訊ねてみると、電話連絡網はきちんと回っていたという。単にサボっているだけなのだ。これではまじめにやって来た連中がいい面の皮だが、結局ミーティングは行われずその場でお開きになってしまった。
2日目、ようやく10名以上の部員が現れてミーティングは一応成り立った。ミーティング後、前日サボっていた女性連中がたむろしていたので、彼女たちのお喋りに混ざりながら、それとなく注意を喚起してみようと思った。
が、何やら彼女らの話題というのが女性の自立云々というもので、これはとんでもないところに来たと思ったがあとの祭りで、「近頃の男はだらしなさ過ぎる」だの「女性はもっと自由になって自立するんだ」だのという演説につき合わされる羽目になった。挙げ句、「水野さんは独善的だからいけないんだ」などというお説教までいただいたりしたものだが、一応全部言わせておいてから、僕は自分の目的を果たすためにも、
「昨日ちゃんと来てた人だっていたんだからさ、理由はあるにせよ何の断りもなくサボったりするのはよくないんじゃないの?」と訊ねてはみた。だが、彼女たちは我関せずといった表情で僕の話を聞き流していた。都合の悪いことは一切聞こえなくなるという流儀が、果たして自立した女性の条件なのか何なのか、男である僕にはよく分からぬが、ともあれミーティングは3日目に突入した。
が、またもミーティングは頓挫した。件の女性集団が、またしてもやって来なかったのだ。部室には5~6人がいたが、こんな少人数では決まるものも決まるまい。よしんば何かを決めたところで、後になって「あいつらは勝手に物事を進めている」といったお門違いな陰口を叩かれることにもなりかねない。つまるところは、またも緊張だ。緊張、緊張、緊張。
この3日間のミーティングは前々から告知されていて、後で知ったがそのためにアルバイトの日取りを変えてやって来た部員までいたのだった。もちろん、これは彼女たちの企画したミーティングではなかったから、そんなことは関係ないと言ってしまえばそれまでのことだったのかも知れぬが。
ほとほと呆れていると、その女性集団が2時間以上も遅刻して現れた。何でも、そのグループの一員の家に泊まって遊んでいたとか。僕を含め、待っていた面々の鼻白む思いを嘲笑うかのように、そのお泊まりがどれだけ楽しかったかを彼女たちは嬉々として話し始めた。すると、居合わせた代表氏が彼女らを捉えて叱責し始めた。落ち着いた口調ではあったが、言葉の端々に怒りが感じられ、僕を含む多くの部員が絶句してあたりが静まり返ってしまうほどであった。彼女たちは、「自分たちは午後からミーティングに出れば良いと思っていた」などとおろおろ言い訳していたが、それはまさに独善的な判断ではなかったか? 前日のやりとりを思えばなおさらであった。
件の後輩たちは叱られてしょげてはいたが、そうされて当然だと思えた。彼女たちの標榜する自立なり自由などという言葉の本質が、所詮は他者の犠牲によってのみ成り立ち、それを当然のようにタダ食いする浅薄な甘えでしかなかったとは! 自分の意見なり生き方なりを確立するのは素晴らしいことであろうが、それが所詮は己の浅知恵から出たものに過ぎないという自覚もまた持つべきだ。そして、批判に晒されるのがイヤならば安易に他人を責めたりはしないことだ。
しかし、自由と自分勝手を取り違え、無責任の上に立脚した彼女らの言動は、どこかで見たことはなかったか。考えてみれば、後輩たちはまったく従順に、先輩たちの流儀を真似たに過ぎない。それはいかにも子供たちらしく、いささか過剰になぞり過ぎたのではあったが。
それでもなお、彼女たちが過ちを過ちとして素直に認めていたことと、彼らの間で要らぬ緊張が起こらなかったことは、せめてもの救いではあった。
と同時に、延々待たされた部員たちと同じような忍耐力と心の広さを持ち合わせていない自分自身を省み、大いに恥じざるを得なかったのであった。