第5話:女は女である

「忘れてもらっちゃ困るけど、マクラーレンにセナを来させたのも僕なら、マクラーレンにホンダを持ってきたのも僕だし、1985年の末から日本でホンダとの契約について話し合ってたのも僕なんだよ。なのに、そいつを忘れてる人間がわんさといるわけだ。」
アラン・プロスト(フランス人)


大学で僕が入ったサークルというのは、入部したときからその屋台骨が揺らぎはじめていた。部員が少ないのである。ついには、僕と同学年の人はひとりもいなくなってしまった。それでも僕は辞めようとは思わなかったし、むしろこれからもり立てていかなければという気持ちの方が強かった。
あるOBが、卒業間際にこんなことを僕に言い残した。
「絶対にサークルを潰すな。それでY氏のご恩に報いるんだ。」
別項で何度も触れている例のアルバイトは、このOBとY氏との親交から始まったものだった。

しかし、それから約1年後、事態は更に深刻化していた。他に上級生がいないからという理由だけで僕は代表にさせられはしたものの、その手腕のなさは誰の目にも明らかだった。部員の数は更に減っていた。
サークルが消滅してしたところでどうでもいいじゃないかという向きもあろうが、僕には、あのOBの言葉が頭にあった。おいそれと放り出すわけにはいかなかった。それに、Y氏に限らずバイト先の社員の中には、部員の少なさを心配してくれる方もいて、その気持ちを裏切れる筈がなかった。

ともあれ、サークルに新入部員が入るも入らないも4月の新学期までは分からない。が、会社の仕事は我々の都合にはお構いなしに存在する。サークルが存続しないのならそれはそれで、今後のアルバイトについては充分議論を重ねる必要があった。現在の少ない部員だけで仕事をまかないきれないとなれば、Y氏をはじめ社員の方々に迷惑をかけることにもなる。それに、別項でも述べたとおり、このアルバイトは午後をまるまる拘束されるため、授業との兼ね合いも考えておかないと、頭数が揃わなくなってしまう。僕は春休みの間に、ミーティングをやろうと呼びかけた。

ところが、これに後輩達が食ってかかってきた。サークルの仕事もろくにしないくせに、アルバイトに口を出すべきではない、と言う。そして、自分の授業もどうなるか分からないからミーティングをやったところで将来のことは決められません、と言い切られた。それならなおのこと、話し合いが必要になる筈なのだが、どうやら僕の言うことは一切聞きたくないらしい。干渉するなという訳だ。
僕がかねがね「カネの問題ではない」と口にしていたことも後輩たちの気に障ったらしい。カネの問題が絡まないアルバイトがあるものかというわけだが、しかし、僕が主張していたのはあくまでもプライオリティの問題であって、我々の小遣いと、会社の業務とどっちが大切かということだった。
ことの詳細を記すつもりはないが、これから先の泥仕合によって、ただでさえ小さなサークルは分解寸前になった。

僕が干渉していないとは言えまい。僕が自分の考え以外を認めない人だという批判も受けた。その一部は甘んじて受け入れよう。しかし、僕のやり方に問題があるのならあるで、何をどうするべきかというカウンター・プロポーザルもなしに、ただ自分の気に食わないことに反対だけを唱えるというやり方はどうにも納得がいかないことだった。それはとりもなおさず、自分のエゴのゴリ押しでしかあるまいに。
現に、4月からバイトを始めることになった部員に対する研修日程を決めようとした際にも、後輩たちは一切話し合いに応じず、それでいて、研修によって自分たちのバイトの回数が減るようなことがないようにという居丈高な要求をしてくるのみであった。後輩たちにすれば、僕が立てた計画をご破算にしてしまえばそれで満足だったのかも知れないが、結果として、件の部員はロクな研修を受けることも出来ず、会社には仕事の遅延をもたらすことにもなった。それは、反対のための反対によって正当な議論を抹殺した末の、見事な結実としか言いようない。
僕としては、サークルにせよアルバイトにせよ、上級生から受け継いできたものだからこそ、つまり自分のものではないからこそ、口うるさいくらいに指図する必要があったと思っている。あとから来た人間が、おいそれと横車を通すわけにはいなかい。それが集団の不文律ではないか。もっとも、後輩たちにしてみれば、今まで口にしてこなかった不満が募っていたのかもしれないし、その気持ちに気づかなかったのだとすればそれは僕の人間の器としての限界でしかないのだが。
ある日、金尾雅彦という社員の方が、
「サークルの仲間割れの原因はお前だそうだな。」
と言ってきた。ビックリした。こんなことがあっていいのかと思った。僕はサークルの苦しい事情や人間関係などは出来る限りバイト先では口にせず、サークルや学校での言動がどうだろうと、会社ではその仕事ぶりで人間を評価して欲しいと思ってきた。会社は人手が足りないからこそアルバイトを雇うのであって、余計なことで社員を煩わせてしまうのでは本末転倒なのだ。僕は僕なりに部員達の公私の区別はつけてきたつもりだったのだが、そもそも社員の口からこういう言葉が出てきたこと自体、過去に経験したことのない異常事態の証左だったし、金尾雅彦氏にしてみれば僕の領袖としての気概も苦労も、所詮は他人事ということなのだろう。

お互いに口もきかず、緊張の度合いが高まってきた頃、ある先輩は事態を知って、もっと後輩達を信用してやるべきだと諭してきたことがあった。これに対して僕は率直に事の顛末を説明し、他人を信用できないのではない、気違いに刃物と言うが、みすみす刃物をくれてやる度胸がないだけだと言ったら流石に反論はなかった。結果として、新入部員は例年の倍以上の数が確保され、サークルもアルバイトも何事もなかったように存続したことで、デタントへの道が開けていったのではあったが。
それにしても一番驚いたのは、「サークルとバイトは関係ないことだからいちいち命令はされません」と啖呵を切ってみせた後輩の一人が、あろうことかバイト先の社員に告げ口をし、僕を叱るように仕向けたというその事実だ。後になって、流石にマズいと思ったのかその後輩はこっそり謝ってはきたものの、件の社員が僕に貼ったレッテルは、もはや誰も剥がそうとはしないのだ。
こうした手合いを信用しろ? 僕には出来ない。

どうやら彼女たちは、僕に刃向かったことでバイトの機会を奪われるのではないかと危惧し、それであのような挙に出たらしい。実際、雇い主のY氏は僕を気遣って、
「バイトがサークルにとって重荷になるのなら、一般公募に切り替えてもいいんだよ。」
と仰ったことがあった。しかし僕は、
「サークルがどういうことになっても、せめて後輩たちにはバイトを続けさせてあげてください。」
と重ねてお願いしていたのだった。どんなに反目する場面があろうと、それをバイト先の会社に持ち込むような真似はしたくはなかったし、小さなサークルを懸命に支えてくれた後輩たちに対する感謝の気持ちを忘れたことはなかったのだ。
今になって振り返ってみると、僕自身がもう少しうまく、年長者らしく振る舞うことができればこんなことにはならなかったと思う。そして、後輩達もそれを期待していたからこそ、僕に失望してあんな態度を取る羽目になったのだとも思う。

しかし、あれだけの不毛な諍いを経験して、お互いが不信感を募らせ、傷つけあって残ったものとは一体何だったのだろう。バイト代、即ちおカネだけだったのだろうか。僕が守ろうとしてきたのは、そんなものではなかったのだが… いずれにせよ、いままであったものがグチャグチャにされてゆく光景は、およそ正視できるものではなかった。
もっとも、留学直前になって、M氏という社員の方に「今までよくバイトをまとめあげてくれたな」とねぎらっていただき、また、先のOBに久しぶりにお会いした時には、原因が誰にあったにせよもめごとを起こしてしまったことで怒られはしまいかと危惧していたものの、逆に感謝の言葉をいただいたことで、多分に救われた思いをしたのは確かだが。

ともあれ、あとから来た女が果実を味わい、もとからいた男はその茎を押しつけられるというアダムとイブ以来の男女関係の鉄則を、遅まきながら十分知らされたとは言える。